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両面宿儺は現実にいた?指は世界に存在する?呪術廻戦をより楽しむための小ネタ!

アニメ,漫画

呪術廻戦にも登場している「両面宿儺(りょうめんすくな)」には元となる伝承があり、実在していたと考えられています。

今回は実在していたとしてどのような人物なのか、また宿儺が存在していたとして指は存在しているのかまとめていきたいと思います。

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伝承の両面宿儺ってどんな人?指は存在している?

私が考えている伝承内の両面宿儺は以下のような特徴のある人間だったと考えています。

両面宿儺の特徴
  • 4本腕があった
  • 仏教徒の僧
  • ある程度の社会的地位や権力のあった人物

指に関しては現存していないというのが私の見解です。

その理由を過去の伝承と共にご紹介していきます。

伝承1 日本書紀

簡単にまとめてしまうと「昔、国に歯向かう悪しき怪物を我が国は頑張って倒しましたよ」って記述です。

日本書紀の現代語訳はWikiからですが、以下に記載します。

六十五年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がなかった。力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。

Wikiより

「二つの顔に、うなじが無くひかがみと踵がなく、左右に剣を帯び、4つの手で弓矢を使用」

…属性もりもりですね。

しかしながら、昔は国に歯向かったものを異形の姿で記録したりするのはよくあったそうで、「土蜘蛛」などもその一種だと言われています。

両面宿儺もその一種ではないかとも説として唱えられています。

伝承2 丹生川の伝承

こちらの伝承では日本書紀と一転し、宿儺を褒めたたえる伝承となっています。

日本書紀と同様に簡単にまとめると、宿儺という大男が鬼を倒したというお話です。

元和7年(1621年)の奥書を持つ『千光寺記』には、高山市丹生川町下保にある袈裟山千光寺 (高山市)の縁起が記されている。これによれば、仁徳帝のころ飛騨国に宿儺という者があり、八賀郷日面(ひよも)出羽ヶ平(でわがひら)の岩窟中より出現した。身のたけは十八丈、一頭に両面四肘両脚を有する救世観音の化身であり、千光寺を開いた。このとき山頂の土中に石棺があり、法華経一部・袈裟一帖・千手観音の像一躯を得たという[5]。同じく丹生川町日面の善久寺の創建も両面宿儺大士と伝え、本尊釈迦如来のほかに両面宿儺の木像を安置する[6]。また、位山(高山市一宮町)の鬼「七儺」を、両面宿儺が天皇の命により討ったともされる[7]。位山の付近には飛騨一宮水無神社があるが、享保年間に編纂された『飛州志』では神宝の一つとして「七難の頭髪」を挙げ、神主家の説として鬼神七難が神威により誅伐された伝承を記す[8]

Wikiより

打って変わって英雄となっている宿儺ですが、「一頭に両面四肘両脚を有する救世観音の化身」と伝えられていることから、異形であったことが伺えます。

伝承3 金山の伝承

これは一つの伝承の中に異伝があり、伝承1と伝承2と分けて、説明していきます。

伝承1としては豪族「両面宿儺」は自分を討伐しに来た武振熊命にビビりちからして37日間金山に籠るも、倒されてしまった…というお話です。

伝承2は37日間「陀羅尼(仏教の呪文)」を唱え、国家安全・五穀豊穣を祈念してお山へ去ったのち、村人が観音堂を立てて祭ったというお話です。

『金山町誌』によれば、武振熊命が討伐に来ることを知った飛騨の豪族両面宿儺は、八賀郷日面出羽ヶ平を出て金山の鎮守山に37日間留まり、津保の高沢山に進んで立てこもったが、敗れて討死したという。これには異伝があり、出波平から金山の小山に飛来した両面宿儺は37日間大陀羅尼を唱え、国家安全・五穀豊穣を祈念して高沢山へ去った。故にこの山を鎮守山と呼び村人が観音堂を建てて祭ったともいう[7]

Wikiより

どうやら、陀羅尼を唱えていたことからこの伝承で登場する両面宿儺さんは僧だったのかもしれませんね。

両面宿儺が登場する時代は平安時代、真言宗などの平安仏教が栄えていた時代ですので、ありえない話ではありません。

伝承4 関市下之保の伝承

一番正統派の英雄談です。

「両面宿儺」がなんと毒龍を倒したというお話です。

ついに龍まで倒してしましまいした。両面宿儺さんすごい。

[『新撰美濃志』に引く大日山日龍峰寺の寺伝では、飛騨国に居た両面四臂の異人が、高沢山の毒龍を制伏したとする。その後行基が伽藍を創建し千手観音の像を安置した。千本桧はこの異人が地に挿した杖が生い茂ったものという。或いはこの異人は、飛騨より高沢山に移ってのち、霊夢の告により観音の分身となったともいう。また、『美濃国観音巡礼記』には日龍峰寺の開基を「両面四手上人」としている[9]

この他に、両面宿儺を討った武振熊命の建立と伝わる八幡社が飛騨各地にある[10]

Wikiより

伝承の考察

どの伝承でも「両面宿儺」という人物において共通している点があります。

それはどれも、「異型」であるということです。
ある程度容姿に関して脚色されていたとしても、ここまでかぶるというには偶然しては違和感があります。

よって「4本腕」は本当だったと推測しています。

また他にも伝承によっては、豪族となって討たれたり、龍を倒したりと、ただの農民には難しいことを行っていることから
ある程度、権力や社会的地位力を持っていた人物でしょう。

そのため。私が思うに本当に腕は4本あり、ある一定の資金や権力、社会的地位があった人物なのではないかと考えています。

ただ、指に関しては伝承などにも記載がなく、
指を分けたという記載がないことから、「宿儺の指」は現実には存在しないでしょう。

しかしながら、なぜ両面宿儺は各地に伝承として語り継がれているのでしょうか。

謎は深まるばかりですね。

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